誰のためのデザイン? #1
誰のためのデザイン? 改訂版 D.A.ノーマン 新様社 の読書メモ
誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論
- 作者:D. A. ノーマン
- 発売日: 2015/04/23
- メディア: 単行本
今回は第1章の導入部分。
- 工学的な論理を前提にデザインすることが原因で起こる、 人間−機械のインタラクションの欠陥
- その上で 人間中心デザイン(HCD)という哲学に基づいてデザインすべきという主張
一旦区切って、次の記事で アフォーダンス についてから書く。
第1章 毎日使う道具の精神病理学
人間−機械のインタラクションの欠陥が生じる理由
技術者はものごとを論理的に考えるように訓練されている。 その結果、すべての人々が論理的に考えると錯覚してしまう。 だから、論理的説明さえあれば人々はそれを使いこなすことができると過信する。
何年か前に電通出身のインフルエンサー(というのか?)のはぁちゅう氏が
「電通の先輩が、『CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の「普通の人」だ』って言ってたの、一番役に立ってる教えの一つだ」
なんてツイートしたものだから、大炎上した*1というエピソードがある。
非常に言葉が強く炎上するのも無理はないのだけど、本人にとって本当に役立っているのだろう。*2
要は、人間は 相手も同じ様に考えるだろう と考えてしまうものだから、気をつけようね(超意訳) という訳である。
世の中のほとんどはデザインを担当する人間とは違う人生を歩んできているのだから、
人間の振る舞いを、こうあるべきと思うようにではなく、あるがままに受け入れなければならない。
著者は、スリーマイル島原発事故の調査に参加し、根本原因はオペレーターのヒューマンエラーではなく、デザインの欠陥によるものだと突き止めた仕事の経験から、このような見解に至ったと述べている。完全に余談だけど、大学でやった工学倫理の講義で同原発事故のケーススタディでそんなこと言ってなかったとおもうので、大学ではもっとデザインの重要性にも言及すべきだと思う。
人間中心デザイン Human-Centered Design
コミュニケーションは、ものごとがうまく行ってないときには、とりわけ重要である。ものごとがうまく行っているときだけスムーズに協調して動くものをデザインするのは比較的容易である。
強制的にWFHさせられてる今、これはわかりみが深い。
HCDの原則は、できるだけ長い間、問題を特定することを避け、その代わり、暫定的なデザインを繰り返していくことにある。
アジャイルっぽい
HCDはデザインの哲学と進め方であるため、インダストリアルデザイン、インタラクションデザイン(UIデザイン)、エクスペリエンスデザイン(UXデザイン)のどれとも共立する。